<%@LANGUAGE="VBSCRIPT" CODEPAGE="1252"%> 日系ジャーナリスト物語・概略 (History of Rafu Simpo by Katie Kaori Hayashi)
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『日系ジャーナリスト物語 - 海外における明治の日本人群像』
  林かおり著、信山社出版、1997年発行 (ISBN 9784797230024)
ロサンゼルスの二ヶ国語新聞『羅府新報』で、1996年2月から3ヶ月間、「心・わが町:羅府新報を生きた人々」として掲載された原稿をまとめたものが本書です。
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『日系ジャーナリスト物語』は、羅府新報(ロサンゼルス)で働いたジャーナリスト、渋谷清次郎、駒井豊策、藤岡紫朗、坂井米夫の人生を描いた評伝です。彼等、4人の心の中には、いつも、祖国、日本への憧憬がありました。そんな四人の魂の彷徨(日本人としてのアイデンティティーの揺れ)を読み取っていただければ幸いです。
「明治の新人類渋谷清次郎の挑戦――敗戦者のロマンの系譜」
明治の留学生、渋谷清次郎(写真)は、希望を抱いて入学した南カリフォルニア大学で法学を専攻するのですが、学位を取得しても、日本人であるがために、アメリカで弁護士の資格を取ることができません。アジア人であるがための差別に直面した時、渋谷は、「脱亜入欧」の限界を感じます。

そんな彼は、「アメリカの中の日本」の中で生きることを選び、ロサンゼルスの日本人社会でリーダー的役割を果たします。しかし、1907-1908年の日米紳士協定、1913年の排日土地法といった在米日本人に対する差別法を目の当たりにして、遂に、帰国を決意します。

『羅府新報』の創刊者の一人としても知られている渋谷の次女の猪瀬よし子さんは、現在(2003年7月)も、ロサンゼルスに在住。今もなお、お元気です。ご主人や、お子さん、お孫さんの多くは、渋谷の卒業した南カリフォルニア大学の卒業生です。猪瀬よし子さんからは、貴重な資料を提供していただきました。ありがとうございます。
Rafu Shimpo Photo 2

『羅府新報』創刊者の一人
初代編集長
渋谷清次郎(1878-1917)
『羅府新報』所蔵・提供
「小東京を育て護った新聞社社主駒井豊策――アメリカを祖国として」
山梨県に生れた駒井豊策(写真)は、同社の6代目社主であると共に、現社長駒井・幹夫・マイケルさんの祖父。ロサンゼルスで、『羅府新報』は一世の人たちから、「駒井さんの新聞」と呼ばれていますが、その基礎を作ったのが、この駒井豊策です。

1899年にトランク一つで、サンフランシスコに到着した駒井は、10年足らずのうちに、ロサンゼルスでも有数の資産家になります。1911年には、ロサンゼルスの邦字新聞の株主として、経営に参入、1922年には、同社の社長になります。徒手空拳でアメリカに渡った成功者の一人です。

在米生活が長くなるに連れて、駒井は、アメリカ社会の不条理に気がついていきます。自分の肌の色と国籍ゆえに生じる人種差別に直面しなければならなかったからです。『羅府新報』の社長となった駒井は、彼の新聞『羅府新報』を日系人、日本人の社会的地位向上のために、役立てていきます。
Rafu Shimpo Photo 3

『羅府新報』六代目社主
駒井豊策(1881-1950)
『羅府新報』所蔵・提供
「アメリカ西海岸の日本人指導者藤岡紫朗――彼にとっての祖国日本」
青森県に生まれた藤岡紫朗(写真)は、上京して、犬養毅元総理大臣の書生となり、政治家となることを目指します。1897年に渡米した藤岡は、ポーツマス日露講和条約の日本人特派員となって、三宅雪嶺の『日本新聞』のために、日本に記事を書きます。

その後、シアトルの邦字紙『北米時事』で働いた藤岡は、ロサンゼルスの南加日本人会(羅府日本人会の前身)の書記長として、ロサンゼルスに招聘されます。1920年代には、ロサンゼルスで、『羅府新報』の編集長を務めます。

アメリカに暮らす藤岡の口癖は、「義において米国を愛す。情において米国を愛す」でした。だから、藤岡は、「義」によって、米国への帰化を拒否します。どんなに排日に晒されても、日本人として生きることを選びます。彼が愛した国は日本だからです。

一方、ハリウッドで生れた彼の息子の光夫(写真)は、第二次世界大戦中、ハートマウンテンの強制収容所から、442部隊に志願兵として出征。ヨーロッパ戦線の激戦地として知られるヴォスゲヤ(フランス)で戦死します。

日本人として生きることを選んだ父、紫朗と、アメリカ人として生きることを選んだ息子、光夫の人生を対比して、人にとって、国家とは、国籍とは何であるかを考えます。
「インテリジャーナリスト坂井米夫の愛国――反逆と勲章」
佐賀県に生れた坂井米夫(写真)は、日本では落ちこぼれの人生を送ります。しかし、映画雑誌『写真と演芸』の特派員としてアメリカに渡った坂井は、ジャーナリストとして成功していきます。

戦前は、『朝日新聞』のロサンゼルス特派員として、戦後は、NHKのラジオ放送「アメリカ便り」の特派員として、日本にアメリカの実像を知らせます。1955年に、ボーン(・上田記念)国際記者賞を受賞します。

1964年の『文藝春秋』の10月号のグラビアに、「ある国際記者」というタイトルで7ページに亘って紹介された坂井の足跡を、佐賀県、ロサンゼルス、ワシントンD.C.、スペインと取材をして、私は、彼の評伝を書き上げました。

坂井もまた、アメリカに帰化をせずに、日本人として、人生を終えます。坂井の遺品は、UCLA のSpecial Collections Librariesに「サカイ・コレクションズ」として所蔵されています。

私は、この章に、「インテリジャーナリスト坂井米夫の愛国――反逆と勲章」というタイトルをつけました。というのは、第二次世界大戦中、坂井は、ゾルゲ事件の尾崎秀美(『朝日新聞』特派員)と同じ視点で、米国の敵対宣伝工作機関の戦略事務局OSS(Office of Strategic Service)の日本人部隊で対日スパイ活動に従事するからです。

彼にとっての愛国とは、国家への反逆だったのではないでしょうか。

『日系ジャーナリスト物語:明治の日本人群像』 目次


1.明治の新人類渋谷清次郎の挑戦――敗戦者のロマン
・ 新潟県長岡市の名家、渋谷家
・ 父朝吉と子清次郎
・ 渋谷清次郎のアメリカ上陸
・ 羅府新報の創刊
・ 羅府新報の発展 ・ 日本人社会の建設に貢献する渋谷
・ 渋谷の家庭生活
・ 母国訪問団の団長としての帰国
・ ロサンゼルスで客死
・ 脱亜入欧の夢
・ 思い出の地で再び

2.小東京を育て護った新聞社社主駒井豊策――アメリカを祖国として
・ 日本を捨てた日本人
・ 徒手空拳
・ 「羅府新報」買収
・ 英語欄
・ 設備投資
・ ライバル紙「加州毎日」の創刊
・ 駒井の新聞人としての哲学
・ ナショナリズムの高揚
・ 抑留
・ 再刊
・ 殉国記念碑の建設
・ 小東京の爺(おやじ)として

3.アメリカ西海岸の日本人指導者藤岡紫朗――彼にとっての祖国日本
・ 人 藤岡紫朗
・ おいたち
・ 排日運動
・ 忠誠登録
・ 光夫の出征
・ 帰化権獲得運動
・ 二つの祖国

4.インテリジャーナリスト坂井米夫の愛国――反逆と勲章
・ 佐賀での幼年・青春期
・ 渡米
・ 結婚
・ 「羅府新報」にて
・ ロービングリポーター(移動特派員)としての旅立ち
・ 再び「羅府新報」にて
・ 日系人収容所
・ 錦衣帰郷
・ 最後の一世記者として
・ 死を意識して
・ 坂井米夫の愛国

あとがき
本書は次のマスコミに取り上げられました。 日本では、『読売新聞』、『朝日新聞』、『北日本新聞』、『富山新聞』、『富山県人』『きらめき高岡』、北日本放送、北日本ラジオ、ラジオ高岡。
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