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サンフォルテ、図書室講座    2004年10月3日   
タイトル:女性が女性にチャンスを与える国、アメリカ
講師:林かおり(カリフォルニア州在住、ノンフィクション作家)

1.私の見たアメリカ女性の社会進出と私のアメリカ生活

第二次世界大戦により女性が労働市場に進出、主婦であることの孤独、ボランティア活動へ、雑誌「ミズ」の創刊、ベティー・フリーダンとグロリア・スタイネム、女性運動はアメリカの公民権運動を模倣、セクシストとレイシストという二つの言葉

私の渡米、25年前のアメリカ、預金金利が16%、カーター政権の時代、大学内に託児所、ハンガリー女性が大学の英語教授、ハウスワイフとホームメーカ―(専業主婦)という言葉、18歳以上の人なら誰でも入学できる社会に開かれた大学、コミュニティー・カレッジ

アメリカで大学新聞の記者に、『ロサンゼルス・タイムズ』に私の書いた記事が掲載されて、「あなたは、妻を誇りに思っているのに違いない(You must be proud of your wife)」という言葉に励まされて、英字新聞の記者に、大学のカウンセラーが決めた私の大学院入学、再び大学新聞の記者に、大学院の最高論文賞で次点に

1990年代にベティー・フリーダンの男女平等運動の収束宣言、女性の社会進出の進んだ国、アメリカ、アメリカで女性が従事する職業、ハウスハズバンドの公園デビュー、戦争花嫁との出会い

2.富山県出身の戦争花嫁、ピアー・豊子さん(1933年、昭和8年生まれ)

ピアー・豊子さんとの出会い(2002年に別府で開催された日系国際結婚親睦会にて)、エルパソに取材、子供たちと離れて一人で未亡人暮らし、エルパソの日本人コミュニティー、アメリカに来てから気が強くなった豊子さん

立山町の六代続く女系家族の家に生まれてーーババサマが実権を握る家、第二次世界大戦で父は満州に出兵、終戦(1954年)、東京へ、1953年の六本木での出会い(豊子さんの身長は150センチ、アリソンさんの身長は188センチ)、デート(映画と食事、ストッキング一足が白米20キロ分の時代)、サンフランシスコ講和条約の締結(昭和26年、アメリカ軍は進駐軍から駐留米軍に)、プロポーズ(アリソンさんの帰国が近づいたので)、元敵兵との結婚に父が反対(父は1949年にシベリア抑留から帰国)、親の決めた許婚の存在(七代目の当主となるために生まれた時に決められた婚約者)

アメリカ市民権を申請、アメリカの移民法マッカラン・ウオルター法(1952年)、アメリカ映画『東は東』(山口淑子主演)、アメリカ大使館で二人だけの結婚式(1954年の5月、結婚には家長のババサマが賛成)、夫を連れて、立山の実家に(1954年6月)、豊子さんの渡米(1954年)、孤児院で育ったアリソンさん、姑は看護婦さん、アメリカ国内の移動(ニューヨーク州、ジョージア州、アリゾナ州、イリノイ州、ハワイ州、ニューメキシコ州、アラスカ州、アリゾナ州、テキサス州)、養護老人ホームで暮らす、富山は懐かしい国、アメリカは終焉の地

林かおり著書『私は戦争花嫁です!』(北國新聞社、2004年10月出版予定)、『戦争花嫁(共著)』(芙蓉書房出版、2002年)、『アメリカの女 日本の女』(北國新聞社、2000年)、『History of The Rafu Shompo』(ユニオンプレス、1997年)、『日系ジャーナリスト物語』(信山社、1997年)、『正義は我に在り(共著)』(社会評論社、1995年)、『ロサンゼルス便利帳(共著)』(山と渓谷社、1985年)

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