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1. Sayonara Photo アメリカ映画『サヨナラ(Sayonara)』の写真

 ブランド・マーロン(Brando Marlon)と高美以子(Taka Miiko)主演の『サヨナラ』の一場面です。
 拙著『戦争花嫁』のまえがきで、「私は、コーンパイプを口にくわえたマッカーサー元帥を見たこともないし、アーニーパイル劇場で繰り広げられた華麗なレビューも知らない」と書いたのですが、この写真のようなはゴージャスな舞台が、夜毎、進駐軍兵士の前で繰り広げられたのでしょうね。
 この映画に出演した梅木・ナンシー・ミヨシ(Umeki Nancy Miyoshi)ーが、アカデミー賞を受賞した唯一の日系人・日本人ということで、この映画が最近、話題になっていることもあり、先月、日本でDVDが期間限定で販売されました。
 私は、20年くらい前に、ロサンゼルスで、この映画をテレビで見ただけなので、今度、DVDで見てみようかな、と思っています。

林かおり所蔵

2. Warbride Photo アメリカ映画『東は東(Japanese War Bride)』(1951年)のポスターの一部

 主演のテイラー・ドン(Taylo Don)ーと山口・シャーリー(Yamaguchi Shirley)主演の『Japanese War Bride』の映画の一場面です。
 朝鮮戦争で重症をおったために、日本の米軍病院に運ばれたスターリング・ジム中尉から求愛された日本人看護婦 清水妙子は、スターリング中尉と結婚して、戦争花嫁となりアメリカに渡ります。
 山口・シャーリーの日本名は、山口淑子または大鷹淑子、中国名は李香蘭。中国、日本、アメリカで映画に出演している女優です。  この映画の出演については、彼女の自伝『李香蘭 私の半生』にも記述があります。この映画出演のために、渡米して、彫刻家のノグチ・イサム(Noguchi Isamu)と知り合って、彼女は、最初の結婚をすることになります。
 このポスターは、縦90センチ、横35センチというかなり大きなポスターなので、そのポスターの左下1/3の写真のみの掲示です。

林かおり所蔵

3. Stout Photo ローランド・三上静子さんをご存知でしょうか

 この写真は、拙著『戦争花嫁』の第1ページに掲載してある写真です。
 下の写真の右から二人目の女性が日系国際結婚親睦会会長のスタウト・梅津・和子さんなのですが、「スタウトさんの右隣の女性は誰だろう」と私は、常々、不思議に思っていました。
 今年の1月に、シアトルで『北米報知』紙のマイクロフィルムの記事を読んで、「この女性は、ローランド・三上・静子さんではないか」と思い始めたのですが、この女性についてご存知の方はメールをお願いします。
 日系国際結婚親睦会では、ローランドさんのお名前を聞いたことがないのですが、どうされたのでしょうか?

スタウト・梅津・和子さん提供

4. Yamaguchi Photo 映画「Japanese War Bride」の広告

  山口淑子(Shirley Yamaguchi)とドン・テイラー(Don Taylor)主演の映画『Japanese War Bride』(1952年、キング・ビダー(King Vidor)監督、20世紀フォックス社)について、私は拙著で短く(3行)言及していますが、その映画のチラシをアメリカで入手しました。
 夫の義妹の、「なんでお前のような女と(ドン・テイラー演じる義兄が)結婚しなければならないんだ」という台詞が左上部に書かれていますが、意地悪な台詞ですよね。
 私がこのチラシで気になったことは、Miscegenetic Love(雑婚の愛)という言葉です。(チラシの右端中央)
 黒人と白人との結婚を意味する言葉として、アメリカで使われてきたmiscegeneticという言葉が使われているからです。日本では、日本人と外国人との結婚には、international marriage(国際結婚)という言葉が英語訳として使われていますが、アメリカでは、この言葉は一般的ではありません。ちなみに、現在では、miscegeneticという言葉はアメリカでは死語です。
拙著『戦争花嫁』の参考資料、林かおり所蔵

5. Nora Photo 12002年5月に開催された日系国際結婚親睦会の懇親会で、剣舞を披露するクビロス・ノラさん

 ノラさんとは、日系国際結婚親睦会の旅行で、ルームメートとして、6泊7日間、ご一緒しました。
 ノラさんとの交流を、ロサンゼルスで発行されている『TV FAN』誌(ノラさんの愛読誌)に、「戦争花嫁のノラさんと私」という題名のエッセイとして掲載すると、『羅府新報』(アメリカ最大最古の邦字紙)に、戦争花嫁という言葉は蔑称なので、「戦争花嫁のxxさん」という言葉の使い方は不適切という投書が届きました。
 その後、「戦争花嫁は蔑称か否か」という論争が3ヶ月間に亘って、『羅府新報』紙上で繰り広げられました。最後には、ノラさん自身が、彼女の戦争花嫁という言葉への思いを書かれて、論争は収束しました。
 日本では死語となった戦争花嫁という言葉ですが、アメリカの日系人社会では、今でも生きている言葉のようです。

2002年5月、別府にて

6. Kyojo Photo 1
コンパの集合写真>
  • (前列右から二人目は嘉本伊都子専任講師、右から4人目が林かおり)
  • (中列左から一人目が水野義之教授、中列左から二目が嘉納もも専任講師、中列中央が初瀬龍平学部長)
  • (後列左から一人目が坂口満宏助教授、後列左から六人目が東元春夫教授)
2003年4月19日

7. Kyojo Photo 1
嘉本伊都子専任講師と現代社会学部の生徒さんたち
2003年4月19日

8. Kyojo Photo 1
嘉本伊都子専任講師と現代社会学部の生徒さんたち #2
2003年4月19日

9. Dousoukai Photo
同窓会 高岡高校第24回卒業生(理数科)
東京大学大学院教授(生物情報学)の高木利久さんが、平成17年度の高岡高校の同窓会の基調講演者になられたので、平成17年10月1日に富山県在住の同窓生が集まりました。
私は10月2日に、アメリカへの出国予定というギリギリのスケジュールでしたが、急遽、参加。みなさまとは、ウン十年ぶりの再会となりました。 この同窓会がご縁となり、南砺市の高瀬婦人会のセミナー講師として呼んでいただきました。中盛さん、ありがとうございました。

前列右から、中盛京子さん、辻内欽一先生、高木利久さん、林かおり
後列右から 米沢繁さん、高畑敏夫さん、工藤昌博さん、上野善啓さん、山口光一さん、中島平裄さん
写真提供 米沢繁さん

10. Rafu Shimpo Photo 1
1920年代,ロスアンゼルスの邦字紙『羅府新報』の年末風景。右手を上げているのが、駒井豊策
(進藤みのさん所蔵および提供)
(『羅府新報』の広告部長兼カメラマンだった進藤虎龍さん(みのさんのご主人)が撮影したものと思われます。)
拙著「日系ジャーナリスト物語」の参考資料
1920年代

11. Rafu Shimpo Photo 2
『羅府新報』創刊者の一人、初代編集長
渋谷清次郎
(1878-1917)
『羅府新報』所蔵および提供
撮影時期不明

12. Rafu Shimpo Photo 3
『羅府新報』六代目社主
駒井豊策
(1881-1950)
『羅府新報』所蔵および提供
撮影時期不明

13. Rafu Shimpo Photo 4
『羅府新報』の1920年代の編集長(当時は日本語欄のみ)
藤岡紫朗
(1879-1952)
青森県弘前市徒町川端丁生まれ。 東京で犬養毅の書生となり、政治家になることを夢見る。1897年に渡米(シアトル)。ポーツマスで開催された日露講和会議を『日本新聞』の特派員として取材。 日系史『民族発展の先駆者』、『米国中央日本人会史、』『歩みの跡』の著者。アメリカへの帰化を望まず、日本人としてロサンゼルスで客死。
ナカキ・カオル・ペギー(Nakaki Kaoru Peggy)所蔵および提供
撮影時期不明